吉本ばなな『TUGUMI』
2014/08/15
生死の狭間
72ページからいきなり始まった物語に、わたしはビクリと目を覚ました。せっかくおひる過ぎの通勤電車に揺られてうとうとしていたのに、それまでぼんやりと追っていた字面が突然はっきりと、文章となり、言葉となって、わたしに迫ってきたからだ。思わず本から顔を上げ、まわりを見まわす。どことなく空気が張り詰めている。けれどもそれは、きっとわたしの気のせいだ。とぼけた顔のサラリーマンや、外をぼんやりと眺めるOLの姿が、ゆるやかな時の流れを表していた。
幼馴染のつぐみとまりあは、漁業と観光で静かに回る故郷の町で幼少時代を過ごした。けれども、まりあが東京の大学に進学すると同時に、ふたりは離ればなれになってしまう。そのまりあがひさびさに故郷へと帰って来て、つぐみとの再会を果たす場面。
「食うものが本当になくなった時、あたしは平気でポチを殺して食えるような奴になりたい。」
「できることなら後悔も、良心の呵責もなく、本当に平然として『ポチはうまかった』と言って笑えるような奴になりたい。」
つぐみは善悪を、世の中の流れに合わせない。彼女は彼女の築き上げた絶対的価値観のもと、生きる。それこそがきっと彼女にとっての光であり、「永久機関」なのだろう。本来、生きるとはそういうことだ。けれども、ほとんどの大人はそれを忘れている。或いは、考えないようにしている。わたしはそう思う。
「つぐみは私です」と彼女が言っていることからも、幼いころから体が弱く、おそらく明日の“生”が保障されない状況下で生きてきた彼女自身を、後に客観的に描写したものではないかと、個人的には思っている。だから、ほかのよしもとばなな作品とは違い、読んでいて最後まで、自分の所在が定まらない。彼女のほんとうの視点は「私」であるまりあにはないからだ。それが書き方にどうしても出てしまうので、わたしは最後まで、どこかわたし自身、余所者であるという感じが拭いきれなかった。
©しゅり
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