村上春樹『ウォーク・ドント・ラン』
2015/11/21
衝動とその収束
いつからかこう考えるようになった。“がんばらないわたしはわたしではない。がんばることだけにわたしの価値があるのだ”と。今思えばとても極端な発想だったけれど、わたしは大真面目にこの原則に従い生きてきた。
わたしの中のがんばるとは、とにかくがむしゃらにやるということだった。体当たりで突撃するということだった。常に常に常に常にそのやり方を実践していたわたしは、ある日突然壊れた。
龍 ぼくはがまんする。だから、いいたいことがあるでしょう、それに至るまでにね、がまんして、ため込んでいるというのかな。で、ようし、もういいだろうと思うと、泣いちゃうわけよ、いい、いいとかっていいながら(笑)。
村上龍のこのことばは、それとおんなじニオイがする。つまりあるときを境に動かなくなるか、或いは持続性を保つことができなくなるのだ。ひとはこれを才能の枯渇と呼ぶのかもしれない。
思うに、過去と未来とは想像以上になめらかな線でつながれているものなのではないだろうか。突然壊れてしまうのはその線を無視した代償であって、泣いてしまうのは精神をすり減らしたことでみられる、一時の幻影なのだ。
わたしはこれまで、それらの現象を奇跡として崇めてきた節がある。ため込んだものを爆発させた瞬間の光には気迫があり、儚さがあり、やはり惹かれるものがある。けれども、表現の本質はほんとうにそこにあるのだろうか。
今のわたしなら、つなげることを第一に考える。その選択は、未来に香る甘やかな期待を放棄することになるかもしれない。極端な快楽はやってこない、夢みることをやめるということだ。
しかし不思議なことに、この段になってようやく、わたしは遠くのほうにみえるぴかぴかとした光を追う準備を、本格的に整え始めたような気さえするのだ。
何年かかるかはわからない。ひょっとすると一生かけたって、なにも残せないかもしれない。それでも、無理に捻り出すのでなく、その時を気長に待ちながら今を精いっぱい生きよう。
(eyecatch source http://uploads8.wikiart.org/images/salvador-dali/premonition-of-civil-war.jpg)
©しゅり
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