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村上春樹『風の歌を聴け』

      2015/10/23

 

 

はじめの一歩

 

「君は君自身を太宰治と並べるなんてどうかしている。彼はたしかに偉大な小説を書きこの世に残したけれども、君はどうだい。なにもしていないじゃないか!」

幼いころは暗闇など知らなかった。世界はいつでも眩い光に包まれていたので、わたしは自由に空を飛ぶことができた。

ところが大学に入るとその世界は一変した。それまでは目に入ることすらなかったさまざまな淀みの中に足を踏み入れなくてはならなくなった。

次第にわたしのまわりから引いていった光は、雨降る夜の灯台みたいに、海の向こうでただぼんやりとその姿を示すだけの存在となった。

「しかし、それでもやはり何か書くという段になると、いつも絶望的な気分に襲われることになった。(中略)8年間、僕はそうしたジレンマを抱き続けた。ーー8年間。長い歳月だ。」

わたしは閉口した。彼の言ったことはほんとうだったからだ。わたしは太宰治みたいになにか凄いものを書き残したわけではない。そして今考えれば、ここまでの屈辱を味わったことなど21年間なかった。

彼は俯いたわたしをみて得意気に鼻を鳴らしてから言った。

「ならせめて大口を叩くなよ。黙っておけばいいものを。」

ずいぶんと大げさな言い回しになってしまったけれど、彼はつまりはこう言った。このときわたしははじめて、語ることの愚かさみたいなものを強烈に心に焼き付けることになった。

だから、ジレンマは今でもある。それはまるでコンクリートにくっついたガムみたいに、しつこく心に張り付いてくる。何度拭っても取れやしない。

それでも、だ。

「今、僕は語ろうと思う。もちろん問題は何ひとつ解決してはいないし、語り終えた時点でもあるいは事態は全く同じということになるかもしれない。」

それでも、わたしは(僕は)こんなふうにも思うのだ。恥をかいても、誤解されても、語りつづけることに必ず意味はあると。

そしてあらゆる表現者が、何年か何十年か先の救済された自分の発見を信じ、書きつづけるだろう。

 

(eyecatch source http://images2.fanpop.com/image/photos/11100000/God-was-holding-god-the-creator-11197020-845-867.jpg)

 

©しゅり

 

 - しゅり

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