筒井康隆『世界はゴ冗談』
老いと文学
2020年東京オリンピックのロゴを思い出す。老いた天才は圧倒的な“ささる”表現を人前で求めることをやめ、小粋なデザインに芸を窶す。純文学とライトノベルを自由に行き来する80歳の著者が新たに描いたのは、シュールレアリスムとメタフィクション(佐々木さん的にはパラフィクション?)を基調とする“あそび”の世界だった。
本作は新潮や文春の近著(2010~2015年のもの)を集めた短編集である。三字熟語だけで成り立つ短編や、地の文を廃し会話文だけで話者を悟らせる一節など、くどいほどの形式を使った“あそび”からは筒井康隆独特の、世をすねた老デザイナーの匂いを感じさせる。素人がやるとわざとらしくて読むに耐えなくなるようなシュールさを、ギリギリのバランス感覚で成立させているのは名人芸というしかないのである。
たとえば痴呆老人を描いた『ペニスに命中』という短編は次のようにしてはじまる。
食卓の上の置き時計がわしを拝んだ。時計とは柔らかいものだが、人を拝む時計というのは面白い。珈琲カップを床に叩きつけて割ってくれと頼んでいるのでわしはそうした。わしがどんどん大きくなるのは宇宙が収縮しているからなのだという、さっきまでの考えを続けようとしていると台所から女が出てきて言う。「どうしたの」
小説家になりたい書きはじめの文学青年が書くような文章に思えてしまうが、筒井康隆にかかると軽妙で、ひっかかりのない「つるつるとした文章」になってしまうのだ。それは多分にデザイン的であるとも言える。「構成はこんな案配で、人称はこんな感じ。視点はこれくらいに落ち着かせるのが一番、それらしい」。そんなデザイナー感覚にある種の違和感を覚えている部分もあるのかもしれない、最後に『附・ウクライナ幻想』という一編がある。ロシアの伝記をもとに書いた『イリヤ・ムウロメツ』の話だ。これです。これを書いて欲しいのです。
©たけと
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