辻村深月『ふちなしのかがみ』
模倣
羨望がみえる。彼女が幼いころから読み漁ったであろう数々の、ホラーと呼ばれる類のものへの。彼女のおはなしの欠片としての、羨望が見える。ホラーは「あちら側」に引き込むためにはとても有効な手段だ。
「はーなこさん、遊びましょう」
こどもならば、その言葉を聞いただけで怖くなってしまうかもしれない。
彼女は、辻村深月は、まだ「あちら側」への憧れを振り切っていない。鳥かごの中に閉じ込められているのだ。そうして、自分自身に呪縛をかけている。だから、彼女の文章は「おはなし」で終わってしまう。たとえば、学校の七不思議。おばけの架け橋にはなりきれていないから、その中に時折、嘘がまざる。
狂気は、狂気らしくそこには存在しない。彼女の描くミステリータッチの余韻は、その中にどうしても作為を生む。するすると活字を追うわたしの目は、上滑る。そこにまだ埋め切れない溝が存在しているからだ。
幼いころ、幽霊がみえるというともだちがふたりいた。昼休み、よく遊ぶことがあった。まだ水の張っていないプールの外、金網のフェンスに五本指をひっかけそうして、身を乗り出すように目を凝らす。彼女らが言うからだ。「あそこに花子さんがいるよ。」わたしには、みえなかった。
あれから15年ほど経った今、時々思うことがある。彼女らはあのとき、ほんとうに花子さんをみていたのだろうか。SNSで旧友に続々とつながれる昨今ではあるけれども、彼女らの名前すら思い出せないわたしに真相をたしかめることはむずかしい。
「あちら側」はとても曖昧なところにある。この世にはたくさんの情報があって、あまりにたくさんのフィルターがかけられている。だからその景色は常に、もやがかっているのだろう。
けれども突然、その霧がすうっと晴れゆき、忽然と姿を現すことがあるのだ。そのときになってはじめて、わたしたちは真実を目にすることができる。最後には自分の目でみるしかない。羨望、でなく。
©しゅり
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