ソポクレス『オイディプス王』
2014/10/06
オイディプスの名は“エディプスコンプレックス”のエディプスとして有名だ。母親に対する父親の立場を自身が占めたいとする願望である。心理学的にいえば、あくまでもそれは願望であり、実際は父親存在の絶対性を恐れて取って替わることはない。しかし、私の見る限り、オイディプスはエディプスコンプレックスに適当しない。
なぜか。彼は父親を知らなければ、母親すらも知らないからだ。
オイディプス王は言わずと知れたギリシャ悲劇の金字塔である。一般に言われることには、ソポクレスはアイスキュロス、エウリピデスといった他の三大悲劇戯曲家と比して、近代的であるらしい。ただ、私には彼の描くオイディプスを近代的な自我を持つ人物と評すことに抵抗がある。
神話といえば男の英雄がつきものだ。“history”は“his story”なのだから。通常の物語において、英雄は理想の化身である。国が荒れれば治め、敵が現れればそれを断罪する。戦場で輝く鮮烈な生き様があるからこそ、編年体よりも紀伝体が人々の心を否応なしに踊らせる。しかし、ソポクレスは理想よりも現実を重んじたらしい。
あらすじを知っていた私は彼が殺害した人物を、彼が同衾した人物の正体を念頭に読み進めていく。劇中の彼の述懐は全て的外れで、前王を殺害した人物を追求しようとして知らず知らず自身を断罪する包囲網を狭める。まるで、遠くの他人を絞め殺そうと手繰った縄が自身の首に掛っているようだ。
神話の英雄を理想ではなく、現実の生々しい人物として書く手法がここにはある。完璧な、超越的な人物であるはずの人物は自身の両親すら知らない無知な者として地に墜とされた。「オイディプス王」のオイディプスは無知なまま自分を囲む運命を切り開く能力を持った人物ではない。彼が近代的というのなら、それは近代が運命という枠を脱する法を確立できていないことを示すだけだ。彼の近代性を私が拒否する理由、それは私自身が運命という莫大なものの果てすら知らず、よってそれを乗り越える術が見えてさえもいないことに反発したいからだ。近代の優位を信じる土壌がぬかるんでいる感触を認めたくないからだ。運命に組まれた理想を否定した先が運命から抜け出せない暗い現実だという諦観を、私は振り払いたい。
©たなかよ
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