本谷有希子『ぬるい毒』
2014/09/15
流れる水のような本だった。湧き出たばかりの清水から、ねばついたローション、血の朱が滲んだ透明まで、雰囲気を変えつつも一環して私の横を静かに流れて行った。
高校の同級生を名乗る向伊という男からの電話で本書は始まる。受話器を取ったのは、熊田由理19歳、田舎の短大生、ただの女の子。いや違う。彼女は胸の内に鬼を育てている。
共感できる箇所の話をしたら、どんな生き方をしてきたのかばれてしまう。そのくらい、熊田はピンポイントでマニアックな感情を描写する。
『私の一日は向伊を許せる日と、許せない日に分かれた。』
向伊と会って以来、彼女はそんな風に向伊に執着している。急に飲み会へ呼び出されたその日から、何の連絡もよこさない男が頭から離れないのだ。身を焦がす辛さへの陶酔を感じると『自分になんでもいいから罰を与えなければ、私は私を許す事ができなかった。』ので、生理的に受け付けない男と寝て自らを罰した。自傷行為というエゴは、自分への陶酔と変わらないのに。
向伊は他者の事を人間とさえ思っておらず、巧みな言葉でいたぶって悦楽を感じるどうしようもない男だ。しかし熊田はそれを分かっていながら彼に執着しつづける。私のためにもっとその芸術的な嘘をついて、と願う彼女は父親に物語をねだる子供のようだ。向伊への感情は恋ではない、と彼女は言うけれど、恋と執着の間に線引きなんてあるのだろうか。
『私が生きているところを馬鹿にするのは、もうやめて』
『自分がただ生きて、ただ死んでいく悲しみを、私は一人で受け止められない。』
物語の終盤、熊田の折り合いをつけてきたこころと自分が重なった。巣食っていた鬼、目をそらしていた欲求を解放すると、飾らない叫びが胸の内から聞こえてくる。流水が鋭く岩肌を削る様が目に浮かんだ。
はっきりしないままの謎や、読者の想像に委ねた未来のせいか、読後はつかみ所のなさを感じるが、うまく言葉に定義できないもやもやを抱えた時に読むと、細かな描写が妙に迫って来て、自分一人じゃないんだな、と落ち着きを取り戻せるように思う。
©ぐりこ
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