東島誠,與那覇潤『日本の起源』
2014/09/11
現在、日本で最もときめいている歴史学者といってもいいだろう。日本の歴史学が戦後築いてきた一定の「歴史観」をまさに庶民に啓蒙する、そんな事業に取り組まれているお二人の対談である。
内容は、一般的に我々が「日本史」と呼ぶものをが、果たして今日の私たちとどのようにつながっているのか、あるいはそもそもつながっているものなのか、という点から通史的に概観している。書名にある『起源』を探る試みは、それ自体が一つの歴史を考える営みなのだ、ということはまずそんな構成からも感じさせられる。
対談の中で、一つのテーマとなっているのは、現代の日本社会が日本の歴史の中で異質である、ということである。ヴェーバーの表現を借りるならば、「正当な暴力」が人々を一元的に支配する、というのは日本の歴史上ごく一時期しか現れていない。だからその意味では、現代社会を『起源』として歴史を読んでいる、とも言えそうだが、著者はもう一歩先まで読み込む。果たして日本の現代社会は、そんな近代的な社会なのだろうか、と。実は今の日本は、日本の歴史上ではごくありふれた、マルチポータルでありながらみんなが何となく妥協しながら秩序を維持していく、そんな社会なのではないか、というのである。日本人は自分たちの生きる社会が、どのようなものか理解していないからこそ、そこで足掻き、失敗し、落ち込む。いわば歴史学から現代へ突きつけられた、チクリと痛い批判である。
歴史の学びから、現代社会を描き出し、そしてずっと昔に驚くほど現代社会と似た世界があったことを明らかにし、そこを生きた人々から今を生きる術を知る。まさに古代や中世の事件が極めて現代的に捉えられ、日々目の前で起こっている問題が一つの歴史的現象としても把握される。日本史に、学校教育で科目として扱われているのとは異なった、新たな視座を作る、好著であろう。
©がちょポン
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