山田英司『八極拳と秘伝―武術家・松田隆智の教え』
2014/08/30
人間は多面ダイスだ。人間同士が付き合うときには知り合える面がどうしても限られる。武術雑誌では聖人君子のように振る舞っている人でも近辺からの噂で傲岸だと聞こえてくることがままある。近辺ならでは、付き合いの多い人ならではの母数の問題でもある。
しかし、内弟子の噂となると話は少し違ってくる。外部者には柔和な一面を徹底していても寝食を共にする仲となると打ち解けて外には知られない一面を見せるからだ。人は多面ダイスでありながら、内側にも面を持つ。
だからこそ、よく知る他者の生涯を描くなら自身の半生をも描かなければ嘘になる。人のある面を引き出したのは自分のある面であり、自分の知る他者の一生に客観性はなく、ただ主観という眼鏡を通すことによってのみ描くことができる。
著者は真摯に向き合った。自身が武門に入った経緯から入り、唐突な出会いから“内弟子となった自分”が見た松田隆智氏を、主観というフィルターを通して描ききった。これほどかつての師への愛に溢れた本があるだろうか。当書を、今までに読んだ追悼本の中で最高のものだと私は自信を持って断言できる。
松田氏が原作の漫画、「拳児」で著者は悪役としてキャラクター化された。中国武術の実戦的度胸を伝統にはないスパーで養おうとしたため、破門されたからだ。決して中国武術をないがしろにしたわけではなかった。著者は松田氏に認めてもらえる成果を実らせようと中国武術の実戦性への研究を破門後も続ける。その研究が伝統と合わさったのが、前回の『武術の構造』であった。残念ながら研究成果をかつての師に対面して報告することはついに出来なかった。
それでも私は思う。松田氏の研鑽の魂は脈々と次代へと受け継がれるだろうと。過去からの伝統として流れる武術体系は大陸から日本へ松田氏を介して注ぎ込まれ、その具象を著者は構造として抽象化した。ならばそれを知る私たちに出来ることは別の構造を探したり構造を組み合わせることで、現代日本ならではの技術へと肉付けしなおすことだ。それが本当の意味での追悼になるのだと私は恐れながらも解釈する。
©たなかよ
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