森見登美彦『四畳半王国見聞録』
2014/08/15
「我々人類に支配可能なのは、四畳半以下の空間であり、それ以上の広さを貪欲に求める不届き者たちは、いずれ部屋の隅から恐るべき反逆にあうことであろう」
森見作品に頻出する語である「四畳半」が世界とリンクする。こう言うと訳が分からないが、実際そうであるのだから仕方ない。森見の作品のいくつかと繋がるスピンオフ作品と聞いて読んだが、それらを内包して余りある世界観であった。
本作の世界観を紐解くキーワードは「内への拡張」だと僕は考える。作中で最も焦点を当てられている主人公の「余」は、自らの領土を内へと拡大していく。アレクサンドロス、チンギス・ハンなどの例を出さなくとも、領土は外へと拡張するのが常であるが、「余」はその限りではない。四畳半という量的に限られた国土を質的に充実させる、という手法を以てその王国を発展させているのである。具体的には、人工芝を植えてどこまでも続く草原を幻想したり、シーツを重ねてアラビアの砂漠を捏造したりする。そこでは、「四畳半の内への拡張」というミクロの追求が、どこかマクロな世界に通じている。フラクタル構造めいた、ミクロはマクロのトップダウンであるという考え方なのである。
——電子と原子核の振る舞いはまるで衛生と惑星のそれだなあ。分子一つ一つがどこかの銀河系なんじゃないか。
中学生の時分に考えたことを思い出す。
余談であるが、「内への拡張」が必要なのが「型」だと私は考える。武道の型、能の型、茶道の型など、型は数多くあるが、学習者は新しいもの好きの“型コレクター”になってはいけない。空手の型を教えるときに「この型飽きたから新しい型教えて」と言う小学生に悩まされる指導者の声をよく聞く。しかし、新たな型を学びつづけるべきだという考え方に、私は否定的である。なぜなら、無限に新たな型を学べば無限の状況に対応できるというわけではないからだ。
伝統芸能には「一つの型を内へ無限に解釈することで、一つの型で全ての状況に対応できるようにする」という考えがある。さらには、その一つの型に込められた意味を拡張して新たな型を生み出すことができる。これが、型の学びでよく問われる「守破離」であり、また、「内への拡張」が新たな外界、マクロを獲得する現実の例だと私は思うのだ。
©たなかよ
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