村上春樹『女のいない男たち』より「イエスタデイ」
2014/08/17
登場人物は、必ず行動をする。作品に登場するからには、物語に何かしらのアクセントをつける義務があるからだ。
「イエスタデイ」は、彼らが当たり前のようにこなしている行動について考えさせる。
アルバイト先で知り合った友人の木樽は、かなり風変わりな男である。
生まれも育ちも東京なのに、タイガースのファンだからという理由で、勉強やホームステイをして関西弁を身につけたのだ。更には、今までの安定した人生とは異なる選択肢について考えるために、幼馴染の彼女を僕と付きあわせようともした。ラストで木樽が予想外の職業に就いたことに、度肝を抜いた読者も多かろう。このように木樽は、手段として適切か否かは別として、非常に現実離れした行動力を持っているのである。
多くの偉人は「考える暇があるのならば、まずは行動せよ」と言う。恐らく木樽は、このようなことを主張する人々が気に召す人物に当てはまるのだろう。
だが実際に様々な行動をしたにも関わらず、木樽が成功したり、自身に満足したりするような描写は、最後まで描かれない。あり溢れる行動力は、少なくともよい方向には作用していないのである。
しかしながら、木樽の行動によって、物語に多くの抑揚が生まれたこともまた事実である。当然主人公や木樽の幼馴染も行動しているが、ほとんどは木樽にまつわる、若しくは関係する行動であった。木樽が一連の行動を全くしていなかったら、木樽の考えや台詞がほぼそのままであったとしても、作品の魅力は半減していただろう。
木樽は良く言えば、登場人物の鑑のような、模範的なキャラクターである。だが、酷な言い方をすれば、先に述べた登場人物の義務による、犠牲者でもある。そんな彼を眺める我々読者は、何を思えばいいのだろう。登場人物の過度な行動によってのみ、面白さが見出されるというのは、我々にとっても残酷なことなのではないのだろうか。
それはまあ
しゃあないよなあ
ビートルズのイエスタデイに木樽が勝手につけた歌詞の中で、三度登場したフレーズである(雑誌のみに掲載)。
きっと、しゃあないのだろう。
©つじどう
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