村上春樹『女のいない男たち』
2014/08/17
思った通り軽めの作品でした。軽いのが悪いというわけではなく。
例えばねじまき鳥クロニクルは読んだら具合悪くなることがあるりえるけれど、これは多分ない。
一番好きなのは、「木野」という作品。
筋だけで、もしもジャンル分けするならば、めずらしくホラー。簡単にB級映画とか作れそう。
でも面白いのはそこではなくて。
この作品は私が好きな同じく村上春樹の短編「ねむり」に似ている。主人公が男性と女性で、生活も結構違うのだけれど。「木野」の方が救いがあるかな。
何が特に似ているのかなって、しばらくして、最後のシーンの「音」とシチュエーションが似ているのかなと思った。
ネタバレすると、「ねむり」では、夜、主人公が中にいる車が知らない男達によってひっくり返そうとされる。ずっと揺さぶられ、暗い中で、小さな車の中から出られずに、がたんがたんと。
一方、「木野」では、主人公は雨の中の暗いホテルの一室で、こつこつとノックされ続ける。ドアを、そして八階の窓を。
「その誰かは今では、枕もとの窓のすぐ外にいるようだ。おそらく地上八階の切り立ったビルの壁にへばり付き、顔を窓に押し付けるようにして、雨に濡れたガラスをこつこつと叩き続けているのだろう。」
でも「誰か」は主人公が見なければ、ドアを開けなければ入って来ることができない。でも、もし目にしてしまったら、入れないわけにはいかない。
ここで出て来るのは、「想像する」ということ。
「ねじまき鳥クロニクル」でも、<想像することが命取りになる。>という記述が(たしか)あったけれど、ここでも、「誰か」のことを想像してはいけない。
「想像するという頭の動きそのものを消し去らなくてはならない」
同時に
「いっときも心を空っぽにしてはならない。空白が、そこに生じる真空が、それらを引き寄せるのだ」。
だから主人公は彼の個人的な思い出を必死に思い出しつづける。
私の個人的なことでは、最近暑くなってきたせいかうまく眠れないことがあって、2時とか3時とか5時とかに起きてしまう。
眠りが結構浅くて、もともとよく見る(というか覚えている)夢をさらにたくさん見る。はじから色んな人に夢で会うので、それはそれで楽しいけれど(なんでかみんな結構いい感じで私を叱ったりする。どういう無意識……)。
それで、その時間に起きると結構怖い。
夢現なものだから、わりと怖いものを想像すると見てしまいそうな気がする。
だからなんとなく、その体がこわばって動けなくて怖い感じがリアルに思える。
ところで、今、再度「木野」を開いてみて思ったけれど、実はあまり軽い作品では無いのかもしれない(笑)。
何度も読むとより面白くなるのかな。
読まれた方がいらっしゃたら、いつかこの作品と同じバーなどでお話ししてみたい(猫がいて蛇がいないときに、もちろん「なるべく普通のスコッチをダブルで。同じ量の水で割って、氷を少しいれて」)。
(「」内は「木野」からの引用)
©美慕
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