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宮本武蔵『五輪の書』

      2014/08/15

 

 

日本武道史上最強の武道家といえば、多くの人が宮本武蔵の名前を上げるだろう。なぜか? それは、武蔵が60回以上の勝負をしながらも、すべてに打ち克って天寿を全うしたからである。最強の武術家である武蔵が、自身の武術の集大成として書いたもの。それが「五輪の書」なのである。

本書は五つの章に分かれている。地・水・火・風・空の巻である。五行思想の影響が見られるが、巻ごとの役割も明確で、構成が素晴らしい。文武両道を体現した者のみがなし得るわざである。ちなみに「地」は“土台”、「水」は“体術”、「火」は“戦闘理論と心法”、「風」は“他流”、「空」は“兵法の本質”について語っている。

僕がこの中で最も重視するのは「水」である。どの章においても水の「自由自在」「適応」といった重要な要素が絡むが、この章が最も具体的に自分の体感にしっくりくるからだ。

水は砕けることがない代わりに貧弱である。一方、岩は加工をしなくとも強いが、脆い。体の固い者には岩がぶつかるような強さがあるものの、何度もぶつかると体を壊す。対して、体の柔らかな者は技術を知らなければ力を発揮できないものの、修めたならば長く活動を続けられる。長期的に見れば、柔らかい方が有利なのだ。ただし、互いに修めた戦略や技術が少ない場合は、その限りではない。

武術とは可能性の追求である。柔軟になることを思い留まればその人の武術はそれまでだ。もともと、武術というものは弱きが強きに打ち克つための術であった。身体の小さな者は通常、身体の大きな屈強な者に敵わない。しかし、劣っていても自分の資源たる身体の可能性を拡張することで、勝つ可能性が生まれるのだ。両者が固い者であった場合、大きな者が勝つのが道理である。固い体を使った戦略は数あるが、それでも柔軟な方が可能性の幅が広い。いちど柔軟になることで力を捨て、技術や戦略を獲得する。それにより、固かった時よりも可能性を増す。ここまできて、やっと武術への“入門”が叶ったと言えるだろう。付言するのなら、剛体から柔軟への変化は出来ない一方で、筋肉の締めを応用した柔軟から剛体への変化が可能であることも、柔らかさの可能性の一つである。

武蔵は臨機応変を旨として、戦略に適応するだけでなく実際の動きとしても体を柔らかく使った。すなわち、「一つの戦略に終わるのではなく状況を見て適宜、戦略を変えていく」という柔軟さに加え、「力任せに身体を操作するのではなく、水をイメージして流れるように使っていく」という柔軟さも有していた。強い者に勝つためには体の可能性を広げる「身体の開発」が必要であり、その「身体の開発」が戦略の可能性を拡張する。ここに至って私は、ハードとソフトの可能性・柔軟性を求める「水」の境地への傾倒こそが武蔵の強さだと確信するのである。

 

©たなかよ

 

 - たなかよ

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