ジェフリー・ユージェニデス『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』
2014/08/17
誰が自殺者を殺すのか
「ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹」はそのまま、ヘビトンボが湧く季節に自殺したリズボン家の姉妹の物語である。
語り手はリズボン家の五人姉妹に魅了された少年たちの一人だ。少年たちは抑圧的なリズボン家から、姉妹を助け出そうとして失敗する。
彼は末娘のセシリアの自殺未遂から、一年後、最後の一人である三女のメアリイが自殺するまでを僕達に語る。なぜ彼女たちは「人生のつらさも知らぬ若さ」で自殺をしたのか? 少年の頃から中年になったいまでもその謎を追っているのだ。
自殺についての本はたくさんある。そのなかで一番有名なのはデュルケームの「自殺論」だろう。デュルケームは自殺の原因を社会に求めた。社会状態の反映として自殺は起こると言った。
著者のジェフリー・ユージェニデスは自殺と社会の関係について自覚的である。語り手は、メアリイと面談した医者やリズボン家の近在者など彼女たちに関わる人の証言を集めていく。彼らのうち何人かはリズボン家の自殺を町の衰退の予兆、壊死していくアメリカの隠喩として捉えている。
それでは、やはり彼女たちは社会によって殺されたのだろうか? この小説は「自殺論」のノベライズなのだろうか? 彼女たちは滅び行く社会に背を押されて自殺したのだろうか?
少なくとも、語り手はそう考えない。彼女たちは「単純な自己愛」から死んだのだという。彼女たちの心は「苦痛や自分だけの傷」だけを見て、愛しいものを見ることができなくなった。少年たちの愛から姉妹達は目を背け、そして死んでいった。届かなかった声を抱えて、少年は大人になった。
結局、姉妹が本当はなにを考えていたのか、それは明かされずに小説は終わる。彼女たちは社会に殺されたのか? それとも望んで自らの首をしめたのか?
読者にできることは、“元”少年が集めた資料を元に、姉妹を思うことだけだ。結局、我々は自殺した人間の気持ちを理解することなんてできない。ただ思うことしかできないのだ。
©こーじ
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