筒井康隆『ビアンカ・オーバースタディ』
2014/08/17
筒井康隆がラノベを書く。その触れ込みに惹かれずにはいられなかった。発売後すぐに本屋で探して買ったのを憶えている。 自分は筒井作品が好きなのである。小学生の頃に読んだ七瀬三部作はまさに自分にとって強烈なカルチャーショックだった。ビアンカ・オーバースタディも読み終えてまず思ったのはいい意味で裏切られたという感覚だった。それも内容で、ではない。文学界の巨匠・筒井康隆が本気で挑むライトノベル、なんていうコマーシャルに、してやられた! という感覚である。いとうのいぢの描く現代風の、でもどこかノスタルジックな 雰囲気を漂わせた少年少女の絵が挿し入れられたその作品は、どこまでいっても筒井作品そのものだったのである。
それはまず1ページめくって目次を開いた時に予感させられる。ずらりと並んだスペルマの文字。背後に描かれているのは、見た目は普通の可愛らしい少女なのである。もちろんこの異様に頭部が大きく、腰は蜂のように締まり、シャンプーハットか? というくらい短いスカートの美少女は決して見慣れないデザインではない。それにこういう少女がスペルマという単語と結びつくような作品世界もこの世の中には存在している。しかしこれは自分が筒井康隆という作家の仕事に期待していたということではなく、この目次を見た時点で既に、自分は何か想像を超えた(想像してもわからない)世界の広がりを感じさせられたのだった。
ビアンカと名付けられた一人の少女とその周囲で起こる物語は「見られている。」なんて妖しい一行で始まる。そこから流れていく世界は実に美しい言葉で綴られている。第一章を読み終える頃には作家の文学世界に取り込まれているだろう。だからいきなり本当に「あなたの精子が欲しいの」なんてセリフが出てきても、不思議とそこに下品な感じは受けない。むしろ挿絵の見た目と裏腹にぞんざいな物言いをするこのビアンカという少女の存在感と相まって、セクシャルな問題が学術的でも下ネタでもない、どこか自然な姿で描き出されるのだ。 このような描き方は最後まで読み進めたとき、この作品の一つのコアとして明らかになる。
そう、これはキャラクター絵とストーリーを追って楽しむような、所謂ライトノベルではないのだ。と、こういうことをいうと多くラノベの哲学性を批判しているような誤解を与えるかもしれないがそうではない。ビアンカ・オーバースタディーのもつ世界観の深さは従来ライトノベルと呼ばれてきたそれとは違うのである。世界観にリアリティがない。読者は安心して冗談めいた展開で笑う。と同時に作者の鋭い現実世界への眼差しが時折アイロニカルにちりばめられており、否が応でも奇想天外な物語の中で読者は自分たちの生きる時代を思わずにはいられない。筋書きに問題がないわけではないが、それ以上にこの筆致に魅かれてならない。
なんのことはない。これは今までずっと積み重ねられてきた筒井康隆の作品世界である。これがラノベならば筒井作品は全てラノベになってしまうだろう。してみるとそこに絵を載せるのは誰であっても良いのだ。それだけの普遍性がある。自分はそう思っている。 が、一方で、こんなにエロくないビアンカを適切に実体化したいとうのいぢもまたこの作品の完成には不可欠であっただろう。
本気で挑んだひとしずくは美しく、物を産むということの果てしない旅路を想わせるのである。
©がちょポン
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