水越ひろ『関節技極意』
2014/08/17
この世に数ある武術書を読むにあたって我慢ならないことがある。ただただ具体的な技の実例を垂れ流すだけの書が蔓延っている現状だ。それから、雲を掴むような精神論をフワフワと書いてそれで読者に十分な秘奥を見せたと悦に浸っている輩の跋扈が許容されていること。あまつさえ、後者の「一見、武術書、その実、哲学書」を達人のみがなし得るわざなるぞ、と賛美してその思考をなぞるだけに留まる者の無知蒙昧さは一喝してしかるべきだと私は断固主張する。ちなみに、前者も後者も一読だけで大多数の読者の頭を通過して身体に還元されないという点ではなんら変わりはない。
本題に入る。そんな、凡百の武術書からこの書は一線を画すのだ。合気系の関節技についてのシンプルかつ確固とした哲学の表明と、その理論体系に裏付けられた詳細な技の説明がここにはある。一読してその全てを身につけられるような容易なものでは決してない。理論を頭で考えながら、「効かせる」ためには自分がいかに動けばいいのか、自分のどこが間違っているのかを身体に考えさせる工程を必ず要する。その過程は自分を裏切らない。字面だけで納得して達人の秘密を手に入れたと満足するより実になると言えよう。
この本から、聞き飽きた文言は排他されている。自身の経験の中から技の中に通底している、と抽出した要訣とそれを確実にする稽古法を独自の言葉で綴っている。さらに、この本が特異である点の一つが「創作」である。冒頭で述べたような、技の具体例だけを述べる書では、技は具体として固定された存在である。完成されて動かすことができない、そのまま風化していく錯覚を覚えるものだ。一方で、この本では技の要訣さえ踏まえれば、読者でオリジナルの技を編み出すことができると示唆されている。私は合気道を経験したものであるが、完成されていると思っていた技からの著者による応用技とその改良のための思考法に鱗を禁じ得なかった。
とかく、私の懸案の一つに「伝統とされる技は、その時代では最新であっても時代様式の変化に適応できないのではないか」という疑問があった。しかし、この本から漂う技の鮮度はみずみずしいことこの上ない。闘争のシーンが着物の時代から洋服、あるいは半裸に時代が移っても水のように最適化することであろう。これは、達人と評される者とその弟子(もしくは読者)の関係にも当てはめることができる。上からの駄菓子のような言葉をありがたって鵜呑みするのみの下々も情けないが、そのうえに胡座をかく上に成長の余地はない。その点で、ともすれば自分を超えることを許す方法論を語る著者には尊敬の念が絶えない。関節技の実力が向上しなく、焦燥に駆られる者には是非手に取ってほしい一冊である。
©たなかよ
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