Biblo


さっと読める書評サイト

*

森見登美彦『きつねのはなし』

      2014/08/17

 

 

「でもねえ、今でも思うんだけど、嘘だからなんだというんだろうな。僕はつまらない、空っぽの男だ。語られた話以外、いったい、僕そのものに何の価値があるんだろう」

他の森見作品にある軽快でふざけた語り口とは対照的な、訥々として五感に訴えようとする表現がこの作品の一つの特徴だ。面白主義は影も形もない代わりに、この作品を構成する四つの短編全てにホラーの趣が満ちみちている。例外的すぎて、森見作品への入門に私はこの本をオススメしない。

これは虚構の物語である。小説とはすべからく虚構であるのだが、この作品は一層作り物めいている。感情移入しにくい登場人物、オチのない話、爽やかでない読了感。いくつかの要素は読者である私から納得を奪うものである。中でも、五感に訴えはするものの過多な表現は、語るに落ちるというやつだ。「注文の多い料理店」が要求する客への条件がそうであるように、文の中の無駄な情報が自分の論理にそぐわずに疑問となって溢れだす。

これを象徴するのが「果実の中の龍」という一編に登場する「先輩」である。誰しも、他者と話す中で「自分を大きく見せよう」という思いに一瞬取り付かれることがあり、それは「嘘」という形という形で口をつく。「先輩」はこれを突き詰めてしまった人物なのである。現実には、たとえ辻褄の矛盾なく嘘の物語で自分を固めても、その場所にあるはずの事物や人との繋がりがないために嘘は真実になりえない。彼もその例に漏れず作中で揚げ足を取られる。練っても個人の嘘は脆い。しかし、脆い彼の嘘によってもたらされた「虚構」の概念がこの小説全体を嘘の渦に突き落とすことになる。価値ある者になりたいという彼は、嘘をついたことでかえってこの作品の中での価値を獲得する。つまり、彼のあずかり知らぬ、我々読み手の世界で皮肉にも願望が叶えられるのだ。

鍵になるのは、この小説の四編を通して繰り返し出てくるいくつかのキーワードである。キーワードの内容は、手塚治虫のスターシステムのように各編で違ってくる。例えば、ある骨董屋の主人はある編では女性であり別の編では男性だ。このように、ある編を準拠にすると他の編でのキーワードの内容が嘘となる。こうなると、「先輩」の揚げ足を取った人物が説明する「真実」すらも嘘に思えてくる。その人物の「真実」も他の編では嘘となるからだ。ならば、「果実の中の龍」で嘘と自分で認めたはずの彼の言葉にさえも「真実」の可能性が出てくる。小説の外にいる私たちには何が正しいのか突き止める術はない。そして、もちろん小説はすべからく虚構であるのだ。まったく、爽やかな読了感など期待すべくもない。虚構の上で踊らされた、まさに「きつね」につままれたような「はなし」であった。

 

©たなかよ

 

 - たなかよ

ad

ad

  関連記事

山田英司『武術の構造——もしくは太極拳を実際に使うために』

    あなたは武術を実際に使えるものだと考えているだろうか …

ソポクレス『オイディプス王』

    オイディプスの名は“エディプスコンプレックス”のエデ …

宮本武蔵『五輪の書』

    日本武道史上最強の武道家といえば、多くの人が宮本武蔵 …

ウニ『師匠シリーズ』

    「人が死んだらどこに行くか知っているか。どこにもいけ …

森見登美彦「新釈走れメロス 他四篇』

    オカシミと畏れが共存してまだら模様を生み出している。 …

山田英司『八極拳と秘伝―武術家・松田隆智の教え』

    人間は多面ダイスだ。人間同士が付き合うときには知り合 …

森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』

    「世界の果ては折りたたまれて、世界の内側にもぐりこん …

水越ひろ『関節技極意』

    この世に数ある武術書を読むにあたって我慢ならないこと …

森見登美彦『四畳半王国見聞録』

    「我々人類に支配可能なのは、四畳半以下の空間であり、 …

小野不由美『丕緒の鳥』

    屍鬼など、有名作品を手がける作者のシリーズ作品、人呼 …