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フランツ・カフカ『変身』

      2014/08/16

 

 

「ある朝、グレゴール・ザムザが不安な夢からふと覚めてみると、ベッドのなかで自分の姿が一匹の、とてつもなく大きな毒虫に変わってしまっているのに気がついた。」

グレゴールはこのようにして唐突に、何の理由もなく人間から毒虫へ変身する。この物語はセールスマンとして働き両親と妹を養っていたグレゴールが、毒虫への変身という不条理に襲われ、毒虫としてのグレゴールを受け入れなかった家族によって傷つけられ衰弱死する話である。

なぜグレゴールは毒虫に変身したのか?全ての発端とも言えるこの疑問への答えは、この小説の中では説明されていない。事故や病気と同じように、誰の身にも起こりうる不条理として淡々と描かれ、グレゴール自身も極めて冷静にその事実を受け入れている。

私は「変身」を読んで、個人の存在の本質がどこにあるのかについて考えた。

グレゴールが毒虫になった朝、外見が変わっても家族は毒虫をグレゴールと認め、グレゴールも自分を失わない。人間から毒虫への外見上の変身においては、自分と家族内におけるアイデンティティーは失われないのである。しかし、仕事先の上司は変身したグレゴールを毒虫として扱い、逃げていく。これはグレゴールの仕事能力が変身によって無くなったことで、社会的なアイデンティティー(セールスマンとしてのグレゴール)を失ったということを表しているのではないだろうか。

家族の生活の主軸であったグレゴールの変身によって生活に支障が出てくると、家族のグレゴールへの対応が徐々に変化していく。グレゴールに対して以前のように甲斐甲斐しく世話をするのではなく、家族に負担をかける毒虫としての扱いになっていくのである。グレゴールの人間性は人間であった頃と変わらず、家族の心配をしているのにも関わらず、この扱いの差は一体何であるか。私は、家族にとってのグレゴールは家族の生活を支える人であったのではないかと考える。月日が経ち家族を支えられないグレゴールの家族内におけるアイデンティティーは消失していき、ついには家族の中でのグレゴールは死ぬ。「変身」で家族が傷つけたのは、変身したグレゴールではなく、ただの毒虫だったのである。

物語の最後、グレゴールは自分自身が家族の負担になっていることを自覚し、それを自分で認めることで死を迎える。グレゴールの中で自分のアイデンティティーが失われたことが彼を死に追いやったのではないだろうか。

「変身」はシンプルな物語であり、舞台はほぼグレゴールの自室のみで登場人物も僅か、またなぜ毒虫になったか等の設定もほとんどない。その分グレゴールの苦しみや葛藤が鮮明に描かれている。読む時・読む人によって感じ方が様々であることも、この小説の面白さであろうと思う。ぜひ他の人の感想も聞いてみたい。

 

©たけちよ

 

 - たけちよ

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