森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』
2014/08/16
「世界の果ては折りたたまれて、世界の内側にもぐりこんでいる」
森見作品の中で異端といえる作品である。まず、舞台が京都でない。次に、主人公が勤勉で頭脳明晰である。そして、腐れ大学生でなく小学生(!)なのである。
全くもって勤勉なやつで、アメリカの大学生をも凌駕する勉強量を誇り、その肝の座り様といい対抗できるのははるかぜちゃんくらいのものと思われる。果たして、彼が 「頭角を表した」理由はノートを付けているかららしい。独自に編み出した速記法を使い世界最速の小学生を自認しているのだから厄介なやつである。板書の圧倒的な速度に取り残されて泣く泣くノートを貸してもらっていた私は平伏する他ない。海を実際に見たことがないなど小学生らしく知らないことがありながら一般相対性理論をも知る彼は大学生になって角の取れた円グラフを描く私たちとは一味違って方々に広がった、ウニのような円グラフを描くに違いないのである。
そんな彼でも小学生らしく空想することがある。一つは「おっぱい」についてである。遠くの二つの丘を見てイメージを重ねながら、「怒りそうになったら、おっぱいのことを考えるといいよ。そうすると心がたいへん平和になるんだ」と有効に空想している。泰然としたものである。
もう一つは「世界の果て」についてである。彼は地球が丸いことを知りながら「きっと何もなくてがらんとした場所なんだ。それで、世界の果てを観測する小さな研究所がある。そこから先にはだれもいけない」と述べる。そんな場所が歩いていける場所にあると想像するのだ。そして、そんな彼に父親は言う。
「世界の果ては折りたたまれて、世界の内側にもぐりこんでいる」
と。
ここに至り、私は少年に巻き込まれるように空想してしまう。くしゃくしゃにした赤い折り紙の端を内側に丸めて作る球体を。そして、その端は私に見えないのをいいことにキッチンにあるリンゴのお尻に通じている。さらに、りんごの皮は軸の根元へ弧を描いて滑り込む。その端は誰かが飛ばした赤い風船のてっぺんに続いて結わえられた急カーブをくぐり抜けて、吹き口へ収束して私の知らない世界のどこかに飛び込んでいくのだ。
ある世界の果てが世界のあるところへと続いていくこれはまさしく前回の「四畳半王国見聞録」で述べたことではないかとふと気がついた。内へ内へと追求するうちにどこかのマクロな世界へと繫がってしまう、このことの具体が「四畳半王国見聞録」での描写であり、抽象と隠喩が「ペンギン・ハイウェイ」で表現されたことであるのだ。何が異端であろう。ぐうの音が出ないほど森見作品である。そして、ここまで考え、世界の果てを観測してみたいと述懐しながら、主人公が小学生にして折り畳まれた世界の果てを既に中盤で観測していることに思い至った。全く以て羨ましく、作者の伏線の上手さに嫉妬が尽きない。こんなときにはあるものについて考えて平和な気持ちになるのが一番である。
©たなかよ
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