マルティン・ハイデガー『ニーチェ』
2014/08/16
アドベンチャーあるいは、ミステリーとしてのハイデガーの「ニーチェ」
この本は基本的な哲学書の形式でありながら、上質なエンターテイメントでもある。冒険譚やミステリーのように楽しんで読めるのだ。
この本の主人公はハイデガー、著者自身だ。彼は自らの「存在の哲学」に新たな地平を切り開こうとしている。途方も無い野望である。そのためにニーチェの哲学を理解し、その深奥を手にせねばならないと思っている。しかし、それは彼の著作という迷宮のなかに隠されている。それを見つけるのがこの本の目的である。
なぜ、著作が迷宮なのか? それは、ニーチェの著作は連作詩、あるいは箴言集のような形式をとっており、その真意は圧倒的な解釈可能性のなかに埋もれているからだ。
また、自らその哲学の「本道」と呼んだ「力への意思」もニーチェは完成させていない。病に追いつかれてしまったのである。死後出版された『権力への意思』は、後に「ニーチェをナチに売り渡した女」と呼ばれる妹エリザーベトが、その歪んだ認識のもとに編集したものだ。
したがって、ニーチェが考えていたこと、その一貫した思想を読み解くことは極めて難しい。哲学史上の最大の謎の一つだ。多くの哲学者がその迷宮に入ったが、最奥に達したものはいなかった。ハイデガーが挑んだのはそうのような謎だ。
迷宮のなかには、さまざまな罠が存在する。例えば、ニーチェは「意思は情動であり、情動は意思である」と言う。これは循環定義と呼ばれるもので、論理的には間違いであるとされる。多くのものはここで、理解できないと思うか、もしくはニーチェは間違っているというだろう。そこで思考を止めてしまうだろう。
しかし、ハイデガーはこの罠を踏破する。思考を止めない。密室殺人を目の前にした名探偵のように思考を止めない。トリックがあるはずだと考える。循環定義を可能にしているもの。それが、ニーチェ哲学の深奥に違いないと、ハイデガーは考える。
はたして、ハイデガーはその謎を解き、シャーロック・ホームズさながらにその思考を披露してみせるのだが、それは実際に本書でご確認いただきたい。
©こーじ
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