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江國香織『落下する夕方』

      2014/08/16

 

 

独白

わたしには見えなかった。だってあなたが、からだを鎖でぐるぐる巻きに縛られて、何十キロもある足かせを引きずりながら歩いている姿なんて、想像もできないもの。

むしろいつでも自由に見えた。だって働かない。外出だってほとんどしない。普段はあのたたみの部屋で寝そべって、愛用のラジオを聴いているだけ。

それもあなたの家じゃない、わたしの家でよ。あの晩、あなたが突然わたしの家に転がり込んできたとき、それはもうクレイジーな女だと思ったわ。

だって、友達だったならまだわかるの。でもあなたは、それまでわたしの彼だった健吾が好きになった女でしょう。そんな女とどうして共同生活をするっていうの?

けれども、あなたはそれがあまりにも当然のように振る舞うから。そしてわたしも、あのときはすこしおかしかったみたい。健吾と何とかつながっていたくて、その状況を受け入れた。

実際、あなたは驚くほど邪魔にはならなかったもの。いてもいなくてもどちらもおんなじみたい。それなのに、あなたがいないと途端に部屋の物どれもが無機質で、色あせて見えるようになった。

あるときあなたは突然家を出て、不倫相手とも知らない男の元へふらりと出掛けていくことがあった。またあるときは、わたしが涼子からもらった台湾行きの航空券を勝手に使っちゃったわね。

だから、わからなかったの。あなたがあんまり自由に見えたから。「逃げるのってものすごく苦痛ね」ってわたしが言ったとき、「知らなかったの?」と言って微笑んだあなたのことが。

ほんとうはあなた、そうしてずっと傷ついていたのね。苦しかったのね。「そういう人生なの。逃げまわって逃げまわって、でも結局絶対逃げられない」。そういう人生。

わたしね。正直、あなたのことがとても羨ましかった。それが、わたしがまだまだ甘かった何よりの証拠なのだけれど。
心の重さって、人にはぜったいはかれないものなのね。

 

©しゅり

 

 - しゅり

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